紫陽花の色は移りにけりな・・・(柿生・浄慶寺)

Hydrangea / kakio jyokei temple
1-1 たくさんの紫陽花があるので、まだまだ見られる紫陽花も結構ある。中にはこれから花開くという若い紫陽花もあった Olympus E-1 14-45(※写真クリックでFlickrへ)

今年の紫陽花もいよいよ終わり。

「枯れると汚い」、「枯れ際が醜い」など、この時期の紫陽花はさんざんな言われようである(自分もそう思っていた)。しかし6月から7月にかけて、これまでの人生、こんなにこの紫陽花という花を意識して見たことがあっただろうか、というくらいに見に出かけ、すっかり紫陽花に対する認識を改めた私としては、今年最後の紫陽花に敬意を表しつつお別れに、そして駐車場のところにある蓮池の蓮はどんな調子かいな、と様子を見るために、柿生・浄慶寺まで散歩に出かけた。

kakio jyokei temple
1-2 このお寺はユニークな羅漢さんがたくさんいることでも有名(?) Olympus E-1 14-45(※写真クリックでFlickrへ)

人の興味・関心というものは悲しいかな、移ろい易い。

茶色の混じり始めた、あるいは白い額に紫の、赤い斑点が出始めた紫陽花が目立ち始めてはいるが、まだ半分くらいは人の目を楽しませるに充分なありようである。しかし、日曜日の、まだ夕方には少し早い時間、以前であれば必ず見ることのできた、紫陽花を見物する人の姿は既になく、見られるのはお寺の人だろうか、既に枯れてしまった茎を剪定する姿のみであった。

Hydrangea / kakio jyokei temple
1-3 剪定されて土に帰るのを待つばかりの紫陽花 Olympus E-1 14-45(※写真クリックでFlickrへ)

寺の入り口でたわわに膨らんだ紫やピンク色の紫陽花たちはすっかり剪定されてしまって、土に帰るべく積み上げられていた。確かに時期を過ぎた紫陽花のその姿は見られたもんじゃない。しかし、これはこれで、なんだか紫陽花を不憫にも思う。

花の色は うつりにけりな いたづらに
我が身世にふる ながめせしまに

というのは、桜と我が身(小野小町)の容姿についての歌であるのだそうだが、別に、桜や小野小町に限ったことではない。紫陽花にも、私自身にも当てはめることができることなのだ。

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蓮池を見る。が、まだ蕾すらない様子。
柿生駅へ戻る道すがら、ところで、夏の花というのはなんだろう?蓮の他にもなんかあるのかな?とそんな考えが頭によぎる。えーと、ひまわり!あと、あと、家に帰ってWebで調べよう。

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所詮飽きっぽいものである。